袖すりあうも多生の縁
近年は日本語の乱れが社会問題にもなっているようで、
テレビなどでも放映されます。
袖すりあうも多生の縁ということわざを
間違って、多少の縁と覚えている人も意外と多いのです。
このことわざの意味は、
私たちの生命はある日、突然ポンと誕生したのではありません。
遠い古から連綿と続いた血の流れの中で生を受けたのだから、
たった今、袖すりあった人とも、血のつながりがある、
だから仲良くこの世を生きていこうではないかという
教えを表しているのです。
多少の縁と間違えると、
袖すりあったことにもちょっとした縁があるなどと解釈してしまいます。
正反対の意味で使っている人は、
この際しっかり覚えておきましょう。
メールマガジン雑学ワールドより
五円の福